『 備中高松城 』
 「とぶ★たまがゆく」7
回目は、令和元年8月8日(木)〜8月9日(金)の
2日間の日程で、岡山市で行われた「全国公立小中学校事務研究大会(岡山大会)」(以下、全国大会)に参加してきました。

 備中高松城址だよ。戦国時代が好きな人にはとても渋いスポットだよね。備中高松城は織田信長から中国平定の命令をうけた羽柴秀吉が水攻めにしたお城だ。その城攻めの最中に本能寺の変が起きてしまうんだよね。
 秀吉は主君信長の死と、自軍の動揺を敵方の毛利に気取られないように戦い、城主の清水宗治の切腹を引き換えに、手際よく毛利と講和を結ぶんだ。講和後は猛ダッシュで居城の姫路城まで引き返し、軍備を整えた秀吉は、京都の天王山で宿敵明智光秀を討ち果たして、天下人への足掛かりとしたんだよ。

 「浮世をば 今こそ渡れ もののふ の 名を高松の 苔に残して」城主の清水宗治は、秀吉から「織田方に下れば備中の国を与える」と誘われたのに、それを蹴って主家の毛利に忠義を尽くし切腹したんだ。敵味方ともに清水宗治の死をとても惜しんだんだって。



(C)埼玉県東部公立小中学校事務研究協議会